Sakuragicho On The Wall 2007.03.04
Text & Photograph by Tacashi Mano
写真を見る
「桜木町 ON THE WALL」公式サイトへ
collum "Sakuragicho ON THE WALL 2007.03.04"
このラクガキ通りを眺め続けて、20年になる。
生まれてこのかた、僕とヨコハマとラクガキ通りは、僕と共にあった。
僕は物心付いた時から横浜在住で、横浜駅周辺へ行くたびに東急東横線の鉄道高架下、
つまり"ラクガキ通り"を見つめていた。
幼い自分の僕にとっては、ひたすら絵が並んでいると言うだけでも圧巻だったが、
更には、その道を通るたびに多くの絵が別の絵に変わっていたのだ。
それこそ、昨日通った次の日にはもう絵が変わっている、ということもざらにあった。
絵柄も非常に多彩なものだった。
今で言うところの、website上の"お絵描き掲示板"のような感覚とでも言えば良いだろうか。
そのころのラクガキ通りは、僕にとって驚きに溢れていた。
バブルの崩壊あたりからだろうか、ラクガキ通りには
いわゆるグラフィティが幅を利かせるようになり、変化も乏しくなっていった。
少し大きくなった僕にはそれが残念だった。
世紀が変わるころには、ほとんど絵が変わることは無くなっていた。
取り締まりなどもあったのかもしれない。
このころ僕は高校生だったが、学級に打ち解けることができず、また勉学の成績の不振から
暗い気分になることが多かった。
薄暗い通路に描かれたけばけばしいグラフィティは、そんな僕の心象にマッチしていたように思う。
またこの時期、ビデオゲーム『ジェット・セット・ラジオ』をプレイしたことが
僕のグラフィティへの興味を引き立て、見方が好意的になっていくきっかけになった。
(『ジェット・セット・ラジオ』は、町中をローラーブレードで疾走し、
敵の追跡を振り切りつつグラフィティを描いて回ると言う内容のゲームだった。)
さらに時が過ぎ、2004年には地下鉄みなとみらい線が開通。
これに東急東横線が乗り入れ運転することになり、
ラクガキ通りの区間である旧高島町駅〜桜木町駅区間は廃止されることになった。
それに呼応するかのように、市の主導で高架下のペインティングが行われた。
アーティストのロコ・サトシ氏などが参加していたが、
その内容については子供っぽいと言うか、幼稚さを感じずにはいられないものだった。
また、いままで有志達によって積み重ね描かれてきたものが突然、
市の主動で白昼堂々と塗りつぶされていったことに、えもいわれぬ憤慨を覚えた。
そのときの憤慨は、1枚の写真として手元に残っている。
"Writer"とはヒップホップ用語でグラフィティの描き手のことを指すのだそうだ。
そして、今回の『桜木町 ON THE WALL』である。
さて、この旧東急東横線高架、今後は改修工事が予定されている。
隣をJRの電車が往来しており、別の用途に利用するにはやや危険が伴うような気がするのだが、
なんでも自転車用の道にするのだそうだ。
クソッタレなラクガキの消えた新しい道は、MM21地区に広がる街並みのように
とても綺麗で、清潔で、美しく、最高にクソッタレなものになるだろう。
恐らくこの合法グラフィティが、ラクガキ通りの最後のグラフィティになるのではないか、
そんな思いから、カメラを持ち出した次第である。
僕は今回の撮影にあたり、ラクガキそのものを撮るよりも、
ラクガキと街との対比や、ラクガキと向き合う人々を撮影することに意識を置いた。
通行人が、Writer達が、そして自分が、
あのラクガキ通りに対してどういう視点を持っていたのかを清算したかったのだ。
結果、ただ作品を撮っただけでは現れてこない
ある種の連続性を持った、面白い写真群に仕上がったと思う。
ただ、約140枚にも及ぶ写真のうち、僕が本当に撮りたかったものは
この1枚だけだったと思っている。
"僕の視点"は、ただこの1枚に集約されている。
ラクガキ通りは、
そこにたとえ意味など無くても、其処にあり続け、絶えず変わり続け、
感情を揺さぶる何かを強く訴えかけ続けていた。
たとえば、夕焼け空のような。
グラフィティ行為の善し悪しもある。失われるのだという悔しさもある。
気持ちの整理はついていない。
つかないほうがいいのかもしれない。
それが、僕にとって、かけがえの無いものだってことだ。
後日談がいくつかある。
この撮影が終了したあとで、伊勢崎町の有隣堂書店に立ち寄った所、
地下ギャラリーにて写真家・森 日出男氏の写真展が開かれていた。
経歴を見たところ、氏は1993年にかのラクガキ通りを撮影した写真集を発表しており、
僕は奇妙なシンクロニティを感じずにはいられなかった。
写真撮影からしばらく時間が経ち、
通勤帰りにここを通過したとき、暗闇に浮かぶ絵の中に、僕はひとつの言葉を見つけた。
…なぜだか、Writer達に頼もしさを感じずにはいられなかった。
行為の是非や時代や場所がどうあったとしても、
表現者として描いていくしかないのだと、
彼らは知っているのかもしれない。
2007.03 Tacashi Mano